2011/02/20

科学コミュニケーションと寺田寅彦

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公開用のブログに書いた内容の転載。


科学コミュニケーションの目的は、「科学やその楽しさを伝えること」であって、「科学コミュニケーションをすること」ではない。

そんなことを考えていたら、寺田寅彦の随筆にぴったりな文章があったので、抜き出してみる。

思うにうっかり案内者などになるのは考えものである。黒谷や金閣寺の案内の小僧でも、始めてあの建築や古器物に接した時にはおそらくさまざまな深い感動に動かされたに相違ない。それが毎日同じ事を繰り返している間にあらゆる興味は蒸発してしまって、すっかり口上を暗記するころには、品物自体はもう頭から消えてなくなる。残るものはただ「言葉」だけになる。目はその言葉におおわれて「物」を見なくなる。

職業的案内者がこのような不幸な境界に陥らぬためには絶えざる努力が必要である。自分の日々説明している物を絶えず新しい目で見直して二日に一度あるいは一月に一度でも何かしら今まで見いださなかった新しいものを見いだす事が必要である。

考えてみると案内者になるのも被案内者になるのもなかなか容易ではない。すべての困難は「案内者は結局案内者である」という自明的な道理を忘れやすいから起こるのではあるまいか。景色や科学的知識の案内ではこのような困難がある。

寺田寅彦 『案内者』 より

何事によらず、気をつけた方がよさそうですね。

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