2012/12/01

さよなら

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この場所にこれ以上の言葉を重ねることが,ちょっと息苦しくなってきたので,お終いにしようと思います.2010年の12月から2年間,このブログはその存在意義を十分に果たしてくれました.言ってみれば,自分に対して,文章という強力な魔法をかけていたようなものです.

しかし,いまの私には別な言葉・文章・魔法が必要です.ここに書いた言葉はきちんと効力を発揮しましたが,その残渣は,そのぶん強力な副作用ももっていました.

というわけで,私はこのブログから逃げだすことにしました.そのときどきに必要な言葉を,どこかに,それぞれ積み重ねていくことにします.それでは,さよなら.

2012/11/06

AAASエディター講演会

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先週学内で開かれたAAASエディターさんによる特別講演会のまとめ.
面白いなと思ったところだけまとめてみました.

オープンアクセス誌の収益モデルはScience誌には合わない,という明確な立場.

文献やデータは出版と同時に利用可能になってきている → in prep などは無し.
Data not shown ではなくSupporting Materialsで示す.

Editorによってリジェクトされる主な理由.
  • 幅広い分野から興味を持たれる一般性がない
  • 仕事量が不十分
  • もっともおもしろい部分が推論に基づいている

うまくいった研究者のように考える.
  • 2つの分野の融合領域ではたらいている
  • 古くからある難しい問題に新しい技術を適用する
  • 予期せぬ結果を突き詰める

カバーレターは,Editorに直接的に話しかけられるチャンスである.

アカデミックカレンダーにあわせて,1年周期できれいに,原稿投稿数が変動している.

2012/10/02

魔法と呪い

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言葉は魔法なので,表にあらわしたことを反映したような気持ちになってくる.

気持ちは揮発性なので,時間が経てば勝手にとんでいってくれるのだけれど,自己触媒的な性質も備えていて,言葉で強化されるとなかなかしつこい.

気持ちは行動に影響を与えて,目に見えた (見えなかった) 行動は気持ちにはねかえってくる.


…それでふと,言葉と行動による,気持ちの自己触媒を,止めてやろうと思った.

2012/09/23

生きているようにしか生きられない

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「あり得た未来」に焦点をおくことは,可能性に着目しているようで,でも実はそうでもない.こうすることもできたはず,こうであっても良かったのに,なんでそうなっていないのか….そこにあるのは,過去と今を素直に受け入れられない,肥大した期待である.価値観や偏見と言い換えても良いかもしれない.

人や自分は,きっと,いろんな生き方を思い描いて,それでも結局のところ,いま生きているようにしか生きられなかった.

そして,それで十分ではないかと,あるときから思えるようになった.人に対しても,自分に対しても.

人は生きてきて,とにかく今,そうなっている.自分はどうしてここに居るんだろうとか,この人はどうしてこんなことになっているんだろうとか,考えたとき,そこに「あり得た未来」を持ち込むと,期待によって目が曇る.そのままを,愛でることができなくなる.

期待なんて必要なくて,いまここに生きてきたところを素直に観察する.「ふむふむ,そうなんだ」.本当の可能性は,きっと,そこから広がっていく.

2012/09/14

可視化された悪に憤りをあらわすこと

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可視化された悪に憤りをあらわすことは,自分の感情に対する揺さぶりをうまく処理する方法ではある.しかし,自分の感情を放流して,その後は顧みないようにも思えて,どうにもモヤモヤしていた.

いったい,可視化された悪に対して,私は何を言うことができるのか.
もしその悪が可視化されなかったとしたら?可視化された部分はあくまで氷山の一角だったとしたら?そうした悪に対して,私はこれまでなにかやってきただろうか?これから何か行動をおこすのか?
そしてそもそも,可視化された悪を真実として信じる理由はどこにあるのか.

しかし,そうしたさまざまな可能性を検証して,すべてについて行動をおこすのは,不可能だろう.時間も,私の感情も,有限なので.可視化された悪をひとまず所与のものとして,なんらかの認知上の処理を施す必要がある.

そうした葛藤の結果が,可視化された悪への憤りの表現,というところに収束するのだと思う.

それでも,私は,せめて自分の感情だけは消費するまいと思う.悪を感じた自分を認めつつも,その感情を吟味してみる.
手持ちの情報から,それを悪と言い切れるだろうか?私にとって人にとって,それはなぜ悪だと感じられるのか?

可視化された悪を消費してしまうのはたやすいし,それはなにより自分に負担をかけない適当な方法である.しかし,消費するだけでは何も残らない.私は,消費してしまうくらいなら,むしろ,それらその場限りの憤りを,表にあらわさないことを望む.一時的でもいいから,自分のなかに留めておいて,吟味して,その正体を納得できるまでは.

2012/08/31

空がきれいで

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今年の夏はよく空を見上げていたような気がする.
空が青くて,雲が白くて,アスファルトを焼く日差しがまぶしくて.

夜空もすてきだった.
都会の空は夜中でもぼんやり明るくて,雲が,月や星を覆い隠していても.

空は毎年変わらないのだけれど,それを見る自分のほうが変わったのかもしれない.
と,そんなことを考えた夏の夜.

2012/08/05

スゴ本オフ「ホラーの会」

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スゴ本オフ「ホラーの会」に参加できず,ちょっと悔しいので,紹介予定だった本をここに書いてみます.
ただし,ホラー然としたホラーは読んだことがないので,ちょっとはずれた感じのチョイスになりました.

まずは,ル・グウィンの『ゲド戦記 こわれた腕環』とトールキンの『指輪物語』.どちらもファンタジーの名作ですね.
これらは中-高校生のときに読んでいて,闇の描写が実に生き生きとしていたのが印象に残っていました.当時は,描かれている闇がまるで生きているように思えて,闇のもつぼやけた意志のようなものが,主人公たちの心を圧迫していく様子におそろしさを感じたのを,鮮明に覚えています.
しかし今あらためて読みかえしてみると,残念なことに,当時感じたようなぬめぬめした闇の質感はよみがえってきませんでした.うむむ….ほかにも,ゲド戦記に関しては,ジェンダーとか仕事とか,そういう当時はあまり意識しなかった観点からも物語を読んでいることに気づきました.久々に好きな本を読み返してみるのも,おもしろいものですね.


次は内田百間の『冥土』と『東京日記』.ちなみに,百間の本は全般的に大好きです.
さて,これらは特に,日常がふと異界につながるさまを描いた不思議な作品群です.どちらも短編が収められ,後者に関しては,東京の馴染みある場所が舞台になっている分,不思議な印象がいや増しています.夏目漱石の『夢十夜』とテイストの似たところがありますが,『冥土』や『東京日記』には,百間のこだわりというか,普通であれば言葉を尽くさなければ伝わらない個人的な執着のようなものが,さらっと著されているように思います.このにじみ出るこだわり・執着の強さが,百間の文章の魅力であり,飲み込みづらさであると私は思っています.もうひとつ,他人から自分がどう見えるか,という点に関する不安を,百間は実にうまく表現する作家であるようにも思います.


最後は鈴木尚の『日本人の骨』.著者は著名な形質人類学者です.
鎌倉の海水浴場のすぐ近くに,鎌倉時代の大量の人骨が埋まっていた (埋まっている) ことを,また,東京都心のいろいろな土地から,さまざまな時代の人骨が今も出土することを,ご存知でしたでしょうか?この本は,そうしたさまざまな人骨の形や時代から,どのような研究がなされてきたかを,わかりやすく紹介しています.紹介されている人骨は,ものによっては刀創のある個体であったりしますが,ホラーではないかもしれません…そうですね,骨の話です.


こんなところで紹介を終わりますが,ホラーと言って怖いのは,闇とか異界とか骨そのものではなくて,その奥にある,人の,尋常でない意志なのかもしれませんね.恨みとか,怨念とか,そういうものを,物理的な対象に意味づけてしまうのが,ヒトという生き物の性なのでしょうか.

2012/07/04

creativityと実現可能性と「お勉強」

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アイデアは,実現可能にしてはじめてcreativeと言うに値し,そのためには「お勉強」が必要になるのではないかな,という話.

creativityと実現可能性

まず,クリエイティビティとか創造性とか,そういう類のものは,実現可能,検証可能,実行可能であってはじめてcreativeと言うに値するんじゃないかと思う.

たとえば,小学生の自由研究はcreativeか考えてみる.
たいていの場合は,前提となる基礎知識が不十分で,"柔軟な発想"で"専門家も思いつかなかった"ような「つきぬけている」アイデアが提示されることが多いだろう.でも,それらのアイデアは「つきぬけている」がゆえに実現不可能である.
大人だって「こんなことができたらいい」とは誰でも思う.しかし,それだけではcreativeとは言えなくて,どうやって実現するか,本当にできるかどうかが重要になってくる.

サイエンスの世界でたとえて言うと,ある研究は,現在または未来にほぼ確実に検証可能であり,論文やそうした形式にのせて認められて,はじめてcreativeであると称される.研究計画書がいかに「クリエイティブ」であっても,それだけでは十分でない.
他の世界のことはよく知っているわけではないけれども,ビジネス,芸術,文化的活動など ※1,いずれも,アイデアをある様式にのせて,実現されている場面を見せたり,だれにとってもその価値が検証できたりするようにしなければ,creativeであるとは言えないのではないだろうか.

実現可能性と「お勉強」

アイデアや結果をこうした様式にのせるには,つまり実現するには,訓練が必要である ※2.たとえばサイエンスの世界では,論文という特異な文章で結果や思考を表現する必要が生じる.結果を得るまでにも,実験であったり理論であったり,そうした様式にしたがわなければならないケースが大半だろう.

そして,この訓練は「お勉強」を通じてなされる ※3.「お勉強」と試行錯誤の両者をうまく回すことで,もっとも効率的になされる.様式にしたがうということだけでなく,どのような歴史のうえに現在の問題があり,それに対して自分の成果がどのように位置づけられるかを,勉強して理解しておかなければ,説得的なアイデアを提示することもままならないだろう.

creativityと「お勉強」

可能な無数の「クリエイティブ」な計画のなかから,「お勉強」によって得た知識を駆使して,説得的かつ実現可能なものを選び出し,それを様式にのせて実行しなければならない.それが成果としてあらわれて,はじめてcreativeかどうかを判断されるラインに達する.
天才ではない大部分の人間にとって,正解のない問題を創りだし答えを与えるためには,説得的なアイデアを選別し実現するためには,つまりcreativeであるためには,どうしても「お勉強」が必要である,とそう思う.

※1 様式自体をつくり変えてしまうメタなもの (破壊的イノベーションみたいなもの) にもあてはまるだろうと思う.
※2 まったくの訓練なしにできるのはごくごくわずか一握りの天才だけだろうし,分野が細分化し内容が高度になった現代では,そのような天才の存在すらもあやしいところかもしれない.
※3 「お勉強」だけで終わってしまう場合も,残念なことに,もちろんあるだろうけれど.

2012/06/23

角川文庫さんシバリのスゴ本オフ

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角川文庫さんシバリのスゴ本オフ」にて紹介する予定の本.
どれも抽象的な説明になってしまったなあ…

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仰臥漫録 正岡 子規

解説のなかで嵐山光三郎は
子規はわれらにむかって吠え,泣き叫び,激しく,人間の根源を問いかける.
と書いているけれど,私はそうは思わない.

たしかに,子規の病状は絶望的で,寝起きや排泄も自分の思いどおりにならず,しばしば猛烈な肉体的・精神的苦痛が彼を襲う.病人とは思えぬ量の食事をとり,腹を下し,看病している母や妹に癇癪をおこして後悔する.

それでも,私はどうしても,全体からあふれでる妙なユーモアを感じてしまう.

便通
牛乳ココア入 ねじパン形菓子パン半分程食う 堅くてうまからず よってやけ糞になって羊羹菓子パン塩煎餅など食い渋茶を呑む あと苦し

p. 52

一両日来左下横腹 (腸骨か) のところいつもより痛み強くなりし故ほーたい取替のときちょっと見るに真黒になりて腐り居るようなり 定めてまた穴のあくことならんと思わる 捨てはてたからだどーなろうとも構わぬことなれどもまた穴があくかと思えば余りいい心持はせず このこと気にかかりながら午飯を食いしに飯もいつもの如くうまからず 食いながら時々涙ぐむ

p. 98

食にぶつけるほか逃がしようのないストレスや,崩れてゆく自分の体にショックを受ける子規の姿がある.だけれども,自分の悲しみに入れ込んでいたり,壮絶な戦いのさなかにある人間は,こんな文章を書けないんじゃないかと私は思う.ときどき挟まる絵を見ていても,そう思う.

子規は,そこにいるのだけれど,いないのだ.
たとえ聞く者が自分しかいないとわかっていても,どんなに心が落ち込む状況にあっても,人が自分を見る目には,どうしてもユーモアが混じるものなのかもしれない.


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子規が生きていた明治の頃の食べ物は,現代に見られるものと概ね同じだった.
では,時代をさかのぼって,江戸時代はどうだろうか?中世は?縄文時代は?…そんな疑問が湧いたとして,それに答えてくれるのが次の本.

日本人はなにを食べてきたか 原田信男

著者は文献史の研究者で,縄文時代から現代にいたるまでの食の変化を,実証的かつ丹念にたどっている.

日本に農耕が導入されて以来たった2-3千年のあいだにどれほど食文化が変化したか,仏教的な背景をもつ肉食禁忌の実体,「遊び」としての食が普及した江戸時代,など,知っているようで知らなかった食の歴史が著されている.

そして,食は食だけに完結していないのが,この本を読むと理解される.
社会,文化,経済的な背景から食は大きな影響を受け,またそれらに大きな影響を与えてきた.そんなことがよくわかる一冊.


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前の本が,食の「歴史」という縦の糸に着目した作品なら,次の本は,特に肉食の「多様性」という横の糸に着目した作品.

世界屠畜紀行 内澤 旬子

日常的に食べている肉が「肉になるまで」を世界各地で追ったルポルタージュで,もちろん日本の芝浦屠場についても,丹念に取材し現場に入り込んで,文章が書いてある.

著者は,屠畜の現場を追っているのだけれども,視線は表面をなぞるにとどまらない.屠畜という行為がどのように見られているか,どのような文化的・経済的・歴史的背景で行なわれているか,そしてそれはなぜなのか.

ときに現象のうすっぺらな記述に終わりがちなルポルタージュだけれども,著者は,曇りのない視線で,現象に説明をつけることを試みる.説明がうまくいっているのは,現地の人と楽に打ち解けてしまう彼女の人間的魅力に負っているところが多いんだろうなと,そんなことを感じたりする.

韓国でもバリ島でもエジプトでもチェコでも日本でも,動物を殺すという「かわいそうなこと」が,実にいきいきと行なわれている.肉食という生活にもっとも近い行為のひとつの裏に,どんな人々がいて,何をしているか,きっと知っておいて損はない.

日本で見られる (見られた) ような,「屠殺」にまつわるネガティブなイメージやそれに携わる人々への差別が,世界では必ずしも一般的でないことも,付記に値する.このようなイメージや差別がどのように形成されてきたか,『日本人はなにを食べてきたか』の記述を参考に考えてみるのも良いかもしれない.

最後に,随所にはさまるイラストが素敵なのと,沖縄のヤギ肉料理はぜひとも食べてみたいものです,という感想を述べておきましょう…


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「角川文庫」と聞いてどうしても紹介したかった本.

日本の人類学 寺田和夫

日本における人類学 (自然人類,文化人類,そして考古学) がどのように発展し,そして細分化してきたか,史実にもとづいて丁寧に追っている.

日本の人類学の祖 坪井正五郎,最終学歴が小学校中退の東大助教授 鳥居龍蔵,星新一の祖父 小金井良精,異常なまでの収集癖をもっていた清野謙次,出版という方面から学問の発展に寄与した岡茂雄…実に多様で癖のある人々が,いかにひとつの (いくつもの) 学問体系をつくりあげていったか,それが手に取るようにわかる.

私は自然人類学を専攻しているので,この本に書いてあることが,血肉になるように吸い込まれていった.他の人が読んだときも同じように楽しめるかはわからないのだけれど,自分の専攻する分野の学史を知っておくことは非常にためになると思う.

どのような学術課題が当時提示されていたか,どのような社会的背景があってその分野が誕生したか,当時と現在とでどの程度手法が変わったか…巨人の肩の上にのって学問をしているという事実が,これほど理解されることも多くはない.

最後に,ひとつ気になったのが,女性研究者の名前が,ひとつも出てこなかったこと.第二次世界大戦終戦の時期でこの本は終わるのだけれど,それまで女性が研究に携わることがいかに困難だったかということと,今なおその状況は解決されていないということに,なんとも釈然としない気持ちを抱いている.

2012/06/10

訓練としての人生

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一方で自分という一貫性を守り,一方で自分にとって正しい方向に型を破っていけるように,人生の一瞬一瞬に責任をもちたいものです,という話.

左近司祥子さんの書かれた『本当に生きるための哲学』 (岩波書店, 2004年) を読んで,まとめというか,思っていたことというか,そんなことを書いてみる.

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一瞬の判断が,良くも悪くも人生を変えることがある.
しかし,人生とはそもそも一瞬の連なる連続体であり,どこかの一瞬を大事にしようとするなら,その他のいずれの一瞬をも大事にしなければならない.

変わるのは人生ほど大きいものではないかもしれないし,変わったことに気づかないかもしれないけれど,ある一瞬の判断は,それ以前の判断の集積から影響を受けていて,いま何かを変えて,またその後の判断に影響を与える.

だから,普段の日々の一瞬一瞬をそのように訓練しておかなければ,ある特定の一瞬に,自分にとって正しい判断をくだすことが難しくなる.その特定の一瞬を成功させるためには,普段から一貫して「自分である」ように準備と蓄積をつづけておかなければならない.

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しかし,人間にはそんなに単純でないところもあって,その特定の一瞬に,それまでの準備をすべて反故にするほど力強いひらめきが生じることがある.このひらめきによって,あるときには飛躍的に幸せに,あるときには飛躍的に不幸にもなる.

このひらめきは「自分ではないが自分である」もので,飛躍した先を自分にとって正しいものにしておくためには,やはり普段の一瞬の判断の連続体に厚みをもたせておくことが肝要である.

だから,自分の人生を自分として生き,それでも自分の枠を超えつづけるために,訓練としての人生を進めていきたいものです,ということ.

しかし,この一貫性を守っていくのはそう簡単ではなくて,それだから,人類はこれを守るためのありとあらゆる方法を,知恵をしぼって考えてきたのかもしれない.

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最後に本からの抜き書きを.
というのはこの瞬間の断というのも次の瞬間の断のための集積の一つになっていくということです.
そういう生き方を私たちはしているわけですし,するしかないのです.そうだとすれば,この瞬間の断のために,そして今後必要となる新しい断のためにも,正しい断をこの瞬間に下せるように訓練をしておく必要が出てくるのです.広い意味での訓練です.

連続する私に,突然割り込んできた飛躍した私,それぞれについての,いろいろな考察はあとのことです.あとでゆっくりすればいいのですし,するべきです.そして,実際私たちはそうしています.

2012/06/09

つらいこと

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「つらいこと」が自分の人生を侵食していくのは,やはりどうしても遠慮願いたいものだ.「つらいこと」に向き合っているとき,景色は灰色に見えて,感情は不安定になり,心身の健康を害してしまうことだってある.

それでも,その先に何かを置き,その何かを手に入れるために,いろいろな可能性を検討したうえで「つらいこと」を選んだのであれば,そして,自分をドライブしているものが,自分の目と手の届く範囲にきちんとあることを常に確認してるのであれば,「つらいこと」に向き合うのも悪いことではないかもしれない.

悪いことではないなどと言っても,つらいものは,やはりどうしてもつらいわけだけれど.

また,微妙なバランスを見極めて「つらいこと」と向きあわなければ (そしてそれは非常に困難なことなのだけれど),容易には逃げられないところに追い詰められてしまうこともある.「つらいこと」と向きあっていると,往々にして,自分で思っている以上に自分を見失ってしまうから,これには本当に,本当に気をつけないといけない.

そういうおそろしさは十分認識しつつ,それでも,「つらいこと」と向きあうなかで得られる強さがあるということも述べておきたい.まあ,強さだって相対的な概念だから,「つらいこと」を我慢してまで得ても意味はないのかもしれないけれど.

基本的に,「つらいこと」からは逃げれば良いと思う (そうはいかないことがほとんどだという事実は認めつつ…).というのは,そのせいで無理して自分を見失っては,何にもならないから.

しかし,それでも向きあうことを選んだ「つらいこと」からは,たぶん確実に何かを得られていると思う.当人は,必死で,今は振り返って見る余裕がないかもしれないけれど.

そんなようなことを思った.

2012/05/29

初心にかえって見直すプレゼン技術

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研究内容を,すこし離れた分野の方々にプレゼンテーションする機会が二度あり,初回は手ひどい失敗,二回目はある程度の成功をおさめたので,何が違っていたかを顧みて要点を書いておきます.

誰に何のためにどんな雰囲気で話すのか明確にする

who,why,howを早い段階 (話の流れを考える前) から明確にしておくということ.何のために話すのかをきちんと理解しておくということ.
この点を勘違いしていると,議論が詳細すぎて興味をもってもらえず,理解してもらえるだけの説明ができず,質問がでないため用意してきた補足スライドはほとんど使わないまま,2/5程度の時間を残して発表を終わる,などという散々な結果に終わるようなことがおこる.
これらを知るためなら,ある程度のコストはかけても良い.主催者や参加経験者に尋ねたり,会場を下見したり,とにかく納得できるまで動いてみる.

練習する

直前まで参考文献を読んでスライドを作り込むのも悪くはないけれど,それだけの時間は練習にあてたほうが良い.声を出して通してみなければ,時間配分や山場を把握するのは困難だし,なにより練習すれば自信がつく.
それに,往々にして,あわてて直前につくったスライドは,流暢に説明できるまで理解できていなかったり,意外な誤植があったりして使いものにならなかったりするものだし.
ただ,練習しすぎて気持ちのハリがなくなってしまうのは少々よろしくない.適度な緊張感を残しながらも,時間をコントロールできる感覚を得た時点でやめておくと,私の場合はちょうど良いみたい.

ポリシーやデザインに固執しない

スライド作成のポリシーやデザインの一貫性は,わかりやすさの次に来るべきもの.アニメーションが嫌いだったとしても,わかりやすくなるなら入れるべきだし,一貫した洗練されたデザインが崩れるとも,その結果わかりやすさが得られるなら,すこしためらった後に崩すべきなのだった.
デザインの一貫性が崩れたとしても,シンプルな図に加えたひとつの帯や,たったの一色が,わかりやすさを劇的に向上させることがある.

自分を観察する

発表の最中,自分が何を言い,どう見えているかを観察し,次から改善していく.
私の場合は,「えっと」という言葉を頻繁に発し,上体が落ち着きなく動くことがわかったので,次の発表では意識的にそれらを抑制した.
問題を抑制できているという事実を発表中に観察できれば,より一層自信を加えられるというメタな利点もある.

熱意と自信を表にあふれ出させる

聴衆だって発表の成功を願っているのだから,熱意と自信の見える発表者には,気持ちを入れ込んでくれる.
自分がおもしろいと思っていないものを発表して,誰が興味をもってくれようか.内容に自信が持てないなら,自信が持てるまで調べ物を繰り返すべきだし,それでもまだ自信がもてないなら,研究自体の意義を疑って良い.

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プレゼンテーションには自信を持っていただけに,初回の失敗は比較的ショックが大きく,あらためて初心にかえる良いきっかけになったように思います.

2012/05/22

言葉の軽さ

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最近,言葉がどうしようもなく軽い.

言葉は容易にあらわれるけれど,あとには形がのこらない.
行為のみが,言葉を形にするのを可能にする.

たとえば,「愛する」ということは,「愛している」という言葉をささやくことではなく,「愛する」という行為をすることである.
たとえば,「不安である」ということが言葉であるうちはまだ良いのだけれど,それが自他の行動として目に見えはじめると,不安は急にはっきりと重さを増す.

言葉と行為は,相互作用しあうループを形成しているのも事実だけれど,だからこそ,それらのあいだのバランスが崩れると,言葉も行為も力を失っていく.

今の私には,目に見える行為が,必要である.
そんなことを,言葉にのせて書き散らしている.

2012/04/22

ラボ・ダイナミクス

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図書館でたまたま手にとった『 ラボ・ダイナミクス -理系人間のためのコミュニケーションスキル 』という本がとても良かったので,その抜き書きというかまとめというか ※1.研究室の人間関係について悩んでいた場合,たくさんヒントが得られると思う.

書評に関しては以下にまとまっている.
これぞ大学院生必携、『研究室の人間関係学』 - 赤の女王とお茶を

自己認識を深める ※2

1. 自分の感情を「知る」
思考を表す言葉 (e.g. と感じた,勝ちたい,決断する) ではなく,感情を表す言葉 (不安だ,おびえている,もどかしい) で,自分を表現してみる.名前をつけなければ理解することはできない.

2. その感情が行動に及ぼす影響を「予測する」
自分が1のような感情を抱いたときにどのような行動にでるか,最初に思いついた行動について考えてみる.

3. 状況にふさわしい行動を「決断する」
人に害をなすか,その状況にふさわしいか,プロの行動といえるか,我をもって対処していないか,にひとつでも引っかかれば,見直すべきである.

自己認識を深めるトレーニング

日々のなかでタイムアウトをとり,そのときの感情を分析してみる.ほんの少しでもいいから,感情に名前をつけて,記録してみる.不快な感情が予測される状況 (e.g. つまらないゼミ,緊迫した話し合い) で特に.
また,「心の地雷」のありかを探り,どのような状況でそれが踏まれてしまうのかを分析する.次にそのような状況に出会ったら,トイレに行くでも携帯電話を見るふりをするでも,とにかく時間稼ぎをして,その状況から心理的距離をおいて分析する.

交渉

立場の正当性ではなく,その背後にある双方の利益を念頭において交渉する.利益とは,あなたが交渉により最終的に手に入れたがっているものである.立場とは,あなたが利益を手にする手段のひとつにすぎない (e.g. 立場: ファーストオーサーになりたい,利益: 就職できる).立場は認めるか認めないかのどちらかしかないが,利益を満たす方法はいくらでもある.
交渉においては,パイをふくらませること (話し合いの要素を増やすこと) が重要.問題をそぎ落として,核心をできるだけ単純化してから,鍵となる単一の要素について検討するサイエンスのやり方とは正反対で,非生産的にみえるかもしれないけれど.

※1 書籍を購入してしまったのもあって,ここに記した以降はまとめていない.
※2 参考: 「怒らない」ということ

2012/04/17

内部の交流

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「内部の交流」に興味がある.
研究紹介のセミナーみたいなものは,学部のころから何度か企画運営してきたし,会社勤めのときはゆるいランチセミナーみたいなものをやっていたし,そういう場にでかけていくのも嫌いではない.

どうして私が「内部の交流」に興味をもっているのか,さみしさ,もったいなさ,見通し,という3つのキーワードで語ることができそう.

さみしさ

私は,人と,パブリックな関係を築くことは得意な反面,親密な関係を築くことが苦手なように思う ※1.「内部の交流」は,同じ組織,同じ目的,そういった何かしらの共通点を足がかりに,人との関係を求めていく私なりの方法なんだと思う.

もったいなさ

人間はとても多様でおもしろくて,誰しも,あまり表に出さない,ユニークな部分をもっている ※2.こうしたユニークな一面を知りたい,という思いも,「内部の交流」に興味をもつ理由のひとつのような気がする.そこから何かを学べたり,創発的に新しいものができてくれば,もっと楽しい.空間や時間がたまたま一致して,近くにこんなにユニークな人たちがいるのだから,もっと知らなければもったいないという思いがあるのだろう.

見通し

私には,「着想」と「戦略性」を重視する傾向がある.多様で大量に存在する対象を俯瞰して,複雑さをシンプルな考え方で説明し,自分にとって進みやすい道筋をつけようとする.この態度を,人の集合体に対して適用している結果が,「内部の交流」ということになるのだと思う.組織やシステムなど複雑なところで,すこしでも見通しをきかせるために,そうしたことをしている側面もあるかもしれない ※3


※1 前者は,特定の決まりごとや共通の目的の下で,ビジネスライクに協調関係を構築するようなイメージ.後者は,利害や損得関係なしに,パーソナルな付き合いを確立するようなイメージ.

※2 たとえば私は,カードやコインがあればいくつかのちょっとしたテーブルマジックができるのだけれど,普段そんなことは話題にしない.

※3 こう書くと,なんだか人を見下したり,手段として扱っているような気になってくる.これまで,そういう態度をとっていたかもしれない.しかしそうではなかったとも思う.

2012/04/14

批判と対案

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批判するなら対案をだせ,というのはひとつのルールである.

ブレインストーミングは,このルールを組み込んだプロセスだし ※1,多くの組織や社会では,アイデアをつぶすより累積的に発展させていくほうがたぶん「適応的」だから,暗黙にせよ明示的にせよこんなルールがあって,批判ばかりしていると顧みられなくなる.

このルールはつまり,物事のネガティブな面ではなくポジティブな面を強調せよ,ということ.ポジティブな面を強調した絶え間ない進歩というのは,まあ結構なことではあるけれど,ときに窮屈である.

たとえば,自分や他人の人生に対して,このルールをもって迫ることは,ときに非常に酷である.常に目的をもって努力している人生なんて,そう簡単ではない.暗い気持ちやネガティブな部分に留まってもやもや考えていても,別に良いではないか.

ルールは,制定されていないところでは必ずしも守る必要はないし,ときには守らないという選択をすることも可能である.



※1 ブレストの場合は「批判をするなら」というより「批判はしない」になるでしょうか.

2012/04/01

チャップリン

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「チャップリンを共に見て語る会」にて,『黄金狂時代』『独裁者』『モダンタイムス』をあらためてじっくり観る機会がありました (お誘いいただいてありがとうございました^^).『独裁者』と『モダンタイムス』は小さい頃に観たことがあったようで,いくつかの場面を断片的に覚えていました.現代にあっても色あせず,夢中になっているうちにあっという間に5時間が過ぎていました.
ここでは,映画を観て,特に強く感じたことを3点,メモがわりに書いておこうと思います.

パフォーマーは手元を見ない

『黄金狂時代』の,フォークで刺したパンのダンスを見て思いました.
 パフォーマンスとは,パフォーマーと観客の相互作用といえましょう.パフォーマーが自分の手元を見てしまった一瞬に,パフォーマーの注意は自己完結して,舞台から観客の存在は消え,相互作用も消えてしまう ※1
だから,パフォーマーは,自分の手元は見なくても,ときに観客の目をじっと見つめることがある.パフォーマンスそのものより,自分の存在および自分と相互作用している観客自身の存在に,観客の注意をむけさせるかのように.恋する人を前にしたパフォーマンスであれば,なおのことそうかもしれませんが….

こっけいはつくりだされたのか

『独裁者』の演説シーンを見て思いました.
 同じ制服を着たしかつめらしい人々をバックに,いばりくさった人が手前で演説をぶっていて,オーケストラか何かのようにときたま大歓声が交じる.表向きは大真面目ですが,すくなくとも私にとってはひと目見てわかる,こっけいな雰囲気がかもしだされていました.
ですが,なぜ私は (一般化して,人は) これをこっけいに感じるのでしょうか…?こうした場面がこっけいであるという概念を,そもそもチャップリンがつくりだして,それを多くの人が共有しているのか.あるいは,このような場面をこっけいであると感じる性質が多くの人にあって,チャップリンはそれを刺激する映像をうまくつくっただけなのか.
 …どうも後者のような気がします.

言葉でないものが多くを語る

『独裁者』の最後のほう,床屋のチャーリーが独裁者のヒンケルになりすまして階段をのぼる場面で思いました.しかし考えてみれば,それ以外にも,チャップリンの映画では,いたるところで,言葉以外のものが多くを説明していますね.
 さて,ヒンケルに対して,チャーリーの階段ののぼり方はあまりにたどたどしかった.ヒンケルにもチャーリーにも,つくりこまれたキャラクターがあるわけですが,階段ののぼり方たったひとつで,それが判別できてしまう.のみならず,不安なチャーリーの心情まで透けて見えてしまう.つまり,人には,言葉に表されていない所作,着物,持ち物などから,語られる以上に多くのことを読み取ってしまう性質がある,ということにはっと気づいたのです.
これって考えてみると恐ろしいことです.ある人の存在を総合的に見て,人はその人に対して文脈や説明を当てはめているわけです.言葉や顔色を隠し通すのは無理ということにもなりますし,見た目からくる偏見に無意識のうちにとらわれているということにもなります.
気をつける,というと何か違う気がするのですが,人には (あるいは,少なくとも自分には),そのような性質があるということを心にとどめておこうと思いました.


 

※1 ただし,自己完結したパフォーマーの姿を見せるのが目的のときには,この限りでないけれど.

2012/03/31

専門性の向かう先を少しずらす

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日本の食と酒 -中世末の発酵技術を中心に』 (吉田元. 1991. 人文書院) という本を読んで,あとがきが興味深かったので,一部を転載します.

緑美しい舞鶴湾に面した水産学科の学舎を巣立ってから,大学院,米国でのポスドク生活を含めた10余年間,食糧科学研究所,医学部生化学科,農学部農芸化学科と,仕事場所は次々にかわったが,著者はずっと各種微生物酵素の精製,応用研究を続けていた.
しかし赴任先の小さな文科系の大学 ※1 には実験室すらなく,ここで自然科学史を講義することになった.実験室なき実験屋としてはしばらくは茫然とし,以後の研究をどう進めるべきか大いに悩んだのであるが,科学技術史を選び,それまで学んだ応用微生物学と仏教寺院とをつなぐテーマがないかと探し続けた.
日本酒の火入れ殺菌が,世界に先駆けて16世紀に奈良興福寺の一塔頭で実施されていたことを知ったのは,その頃たまたま手にした坂口謹一郎先生の名著『日本の酒』によってである.日本における火入れ殺菌法の起源を求めた本書の第六章が著者の研究の再スタートとなったわけであるが,最初に出会った史料があらゆる研究の宝庫とも言うべき『多聞院日記』だったことは大変幸運なことだったと思っている.この日記は寺院の作業日誌的性格も有していて,中世から近世にかけての諸日記の中でこれだけ発酵食品の製造法を定量的に解析出来るものは他には見当たらない.本日記により酒だけでなく,現在の醤油の原型についてもかなりはっきりとした像が見えて来たように思う.
著者は吉田元先生.農学で博士をとられ,現在の専門は科学社会学・科学技術史および農芸化学とあります.

博士号修得後 (博士号に限りませんが),身につけた専門性をもとに,どういった道を切り拓いていくか,有用なヒントがあるように思いました.どの分野にせよ,新たなものを創りだす過程には苦労があり,努力も必要になるでしょうけれど,専門性の向かう先を少しずらすという選択肢を選びとることも,ときには良い結果につながるのかもしれません.

※1 種智院大学仏教学部

2012/03/17

旅と「非日常」

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旅先で「非日常」を過ごすことなどできない,という話.

旅先で過ごす「非日常」への期待

旅に出るとき,どれだけ「日常」を連れていくかには,その人の個性が表れる.大きなスーツケースに何種類もの服や生活用品を詰めこんで出かける人もいれば,バックパックひとつでふらりと出かける人もいる.

私は後者でありたいと思っていて,今回の3週間の旅でも,20Lのバックパックひとつにできるだけ少ない荷物を入れ,「日常」と接点を持つものはラップトップ ※1くらいにして日本を発った.

異国のまだ見ぬ空気への期待・不安と,置いてきた「日常」から逃れた開放感が,旅先での「非日常」を魅力的なものにして,何かそうした「非日常」の体験や思考が可能になるように思わせる.人が旅に出る大きな理由のひとつに,この「非日常」を過ごすことのできる期待があるんじゃないかと思う.

旅先で見たもの

今回のインドの旅では,いろいろな「非日常」の過ごし方を見た.
日本人の多いゲストハウスでは,群れてコミュニティをつくる旅行者を見た.
高級な店が立ち並び駐在員などが多く暮らす地域では,汚れひとつないヒールで高級紅茶店に出入りし,三等列車に乗ることや屋台の食べ物を食べることなど考えもしない人々を見た.
たまたま出会った同年代の男性は,日本に暮らす自分たちを相対的に捉えたい,価値観を確かめたい,という目的をもって世界を旅していた.
私は,文脈を避けて,ひとりのなかに埋没する時間が多かった.

これらから見えてきたのが,旅先で「非日常」を過ごすことなどできず,私たちはどこまでも「日常」を連れていくほかない,ということだった.

「日常」を離れることなどできない

おそらくたいていの場合,場所やすこしの時間が変わっても,私は私のままで変わらない.個人の行動をなんとなく方向づけるモノの見方は変わらなくて,人は,旅先でもその原理にしたがって動くことになる.そういう意味では,人は「日常」を離れることなどできない.私の周りにあるものは変わっても,それを見て選びとり行動する私は,これまでの積み重ねの延長に在りつづける.

さらに,人は見ようとするものしか見えないから,旅先で「非日常」を見ているつもりになっていても,「日常」の自分が見て感じているものは結局「日常」であったりする.つながりに飢えた毎日を送っていれば,旅先でも同年代の日本人が特に目につくだろうし,価値観を確かめたいと常々考えていれば,文化や環境の差異とその背景に敏感になるだろう.

「日常」のなかで「非日常」を見ることのできる稀有な人もいれば ※2,「非日常」のなかで「非日常」を見た気になっている人もいる.ただひとつ,旅先では「非日常」に気づく閾値が低くなるということは言えるかもしれない.

結論

あちこち旅をしてまわっても,自分自身から逃れられるものではない.
(ヘミングウェイ)

※1 行きの飛行機で隣に座った写真家の方と話をしたときのことが印象的だった.彼女は,一眼レフをあえて置いてきたと語った.持ってきたら「仕事」をしてしまいそうだったから,と.私もラップトップを持っていくか迷い,結局持っていった.
※2 思い浮かぶ知り合いの顔があるし,寺田寅彦なんかもそうだったんじゃないかと思う.

2012/03/11

1年前の地震とその前後のことについて

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あのときは会社に勤めていて,しばらく先までの人生をどう方向づけていくか,決心しきれていなかったときだった.そのちょっと前から,人から遠ざかってひとりのなかに埋没している時期がつづいていて,そんな状態で2011年の3月11日をむかえた.

当日

その時刻,会社のデスクに座っていて,ずいぶん大きく長く揺れるなと思った.立ちあがったら,同じように立ちあがって不安と好奇の目で周りを見渡している人が見えた.
避難指示が階ごとに放送されてきて,それを待っているあいだ,参考になるかもしれないと以下のエントリを読んでいた.

2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 (A Successful Failure)

防災係になっていて,非常階段へ人を誘導しているとき,何回か大きな余震があった.揺れが若干気持ち悪くて,廊下にしゃがみこんでいて,上記のエントリの内容を思い出したりして,けっこう真面目に死を意識した.こんなことも思った.

地震の最中、揺れるビルの廊下にしゃがみこんでいたときに思ったのが、「自分はいま死んでも後悔しない人生を送ってられてるのか?」ということだった。答えは、Yesのようなところももあり、しかしまだ圧倒的にNoだった。
2011年3月11日 - 18:38 (Twitter)

避難訓練でやったのと同じように,会社の外の公園に出た.その後は,電車が動いていないことを聞いたり,もう退勤になったことを知らされたり,混雑回避で浅野屋に向かい本を読んでいたりした.当時はドストエフスキーの『悪霊』を読んでいたようだ.Tokyu Precceの混雑整理の放送が聞こえてきて,浅野屋で大量のパンを買っていく人がいたりして,食料や日用品の買いだめが起こっているんだなと,のんきに考えていた.

結局,帰れそうもなかったので,20時過ぎに会社に戻った.Tokyu Precceはほとんど食べ物が残っておらず,セブンイレブンも同様だった.エレベーターは止まっていて,たまたま出会った同期と階段で上にのぼった.

夜中の会社内,同僚と見たTVでは,巨大な水のかたまりが火や建物を押し流していた.しばらく言葉を失った.

朝型の私に夜はつらいので,人の少ない共通休憩スペースのソファーに寝転がった.余震でブラインドが揺れて窓枠にあたる周期の長い音が,不気味だった.この音を聞くと,今でもこのときのことを思い出す.別な人がすこし離れたソファーに横になったり,また起きて離れて行ったりしていた.

次の朝は相変わらず晴れていて,寝不足が気だるかった.


翌日以降

周りが非日常の空気をまとったのを覚めた目で見ている自分がいた (あるいは,そうだったように思っていた).

ただ,Twitterに流れてくる,どんな視点からでもどんな風にでも解釈ができてしまうような,そんな文字たちを見るのが苦しくて,それでもiPhoneを取り出して見るのをやめることが難しかった.幸いにそれをしつづけられる結果に分かれた人たちは,インターネットの向う側で,みんなそれぞれなにかを思い,なにかをしていた.


その前後

当時,自分が「生きる」ために精一杯で,地震の前から,外界と自分との距離が遠かった.外界に対して働きかけるチャネルはできる限り絞り,外界から入ってきたものに心や行動パターンを乱されたくないと願っていた.

そのせいか,地震後の「非日常」を,日常のように過ごしていたように思う.ちょっと変わった生活に,好奇とすこしの不安で色がついたような.常磐線が松戸までしか届かなかったことと,スーパーが閉まるのが早くなったことくらいしか記憶に残っていない.仕事はほとんどストップしたけれど,人のすくない会社で,かわりに勉強をつづけていた.

私にとっては,そうだった.人や災害との相対的な関係が変われば,思いもきっと変わってくるのだと思うけれど.

これまで意識しなかったけれど,地震によって,外界との接続の弱さがさらに促進されたように思う.その夏に会社を辞めたのは,地震そのものよりは,そのあとに仕事がストップした状態がつづいて,そこでもやもや考えていたところも大きく関係しているような気がする.上澄みはまとめることができたけれど,もやもやの部分はうまく言語化できていないし,自分の感情の再帰的な力からも自分を守ろうとしたために,あまり覚えていない.

外界との接続が弱い状態は,つい最近までつづいた.そして,インドから帰ってきたあと,それを終わらせる気になった.インドが契機になったのではなくて,降り積もってきたものが閾値を超えたのが,ちょうどその時期にあたっていたのだと思う.


いま

そんなわけで私にとって,地震は,文脈のひとつだった.

外界との接続を弱め,弱まっていったときに地震がおこり,弱まりは加速された.接続が適当に弱まった状況のなかで「知りたい」という感情を発見して,4月の終わりに,会社の上司に退職の意志を告げた.接続の弱さはつづいて,そのなかから「怒らない」というシンプルな結晶が現れた.

そんなわけで,いまに至る.
ここにきて,やっと息ができたような気もするし,そうでないような気もする.
これから,ということで問題はないと思う.

「怒らない」ということ

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つい先日,どんな人間でありたいか,という質問を投げかけられた.
そのとき,「怒らない」ようにありたい,しばらくはそれだけでいい,と答えた.

これまで私を動かしてきたのは,怒りの感情だった.自身の理想を自信でかためて,そのとおりでない環境や自分に怒り,それをエネルギーにして自分自身を動かしてきた.
怒りの感情を,自分の内側に留めきれれば良いのだけれど,どうしても漏れだしてくる.ほかの人に近づけば近づくほど,漏れでた怒りは強くあたってしまうことになる.

怒りはたしかに力を与えてくれる.でも,つまらない.
近くに寄ることができた人に対して,その距離が近いほど,つまらない思いをさせてしまう.自分も,大切な人につまらない思いをさせて,つまらない.

近くにいる人ほど,強く怒りをあてて遠ざけてしまうので,怒る人は孤独である.
そして,孤独ということは,自分自身に対する甘美な言い訳である.
2年前,降り積もった怒りのせいで,遠ざけるべきではなかった人を離してしまった.
それ以外にも失敗ばかりしている.
最近,そういう状況に対して,なんだかげんなりしてしまった ※1

「怒っている」というのは状態であって,能力ではない.
ぷんすかしていても,していなくても,自分の力は変わらない.
謙虚な自信とともに,波立たない水面のような心で,人・物・事に向きあうほうが,かえってうまくいく.それが経験的にわかっていて,最近になって,やっと理解もできた.

そんなわけで,当面の私は「怒らない」ことになっている ※2

参考

『自己の肯定と否定と』 和辻哲郎 (青空文庫)
『虞美人草』 夏目漱石 (青空文庫)
講演録「心の技法」(4) なぜ怒りをコントロールするのか (かんかん)

※1 「怒り」に対しては怒っていないので,多少の進歩はみられているのかもしれない.
※2 外側に表出する怒りのことではなくて,怒りの感情に心を支配させない,という感じでしょうか.

2012/03/08

インド (Delhi)

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インドの旅行記を少々.
文章と写真は関係していたり,していなかったりします.
「なにもしない時間」が本当にたくさんあって,そのとき考えたことはそのうち.

そしてDelhi
旅のはじめとおわりの約2日間しかいられなかったけれど,それくらいで十分かな…
混沌とした駅の周辺,高級ホテル街,むかしながらのChandni chowkまで,とにかくたくさん歩きまわって,多様性と混沌を目にして体感できたのはおもしろかった.博物館が休館日だったのと,Holiまでいられなかったのが,最大の心残り…

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土とともに暮らしている.


朝の通勤ラッシュ以上の混み方の地下鉄と,物売りが行き交い人々が座り込む列車のホームと,それらが混在している.地上にでた地下鉄の車窓からは,スラムが見えた.


開園時間は日出〜日没


我を殺すこと


インド旅行記

インド (Varanasi)
インド (Jaipur)
インド (Jodhpur)
インド (Delhi)

インド (Jodhpur)

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インドの旅行記を少々.
文章と写真は関係していたり,していなかったりします.
「なにもしない時間」が本当にたくさんあって,そのとき考えたことはそのうち.

つづいてJodhpurに.
この町は本当によかった.
Mehrangarh Fortの巨大なスケールに圧倒されて,城塞内の植物園がとってものんびりしていて,Jaswant thadaが砂漠に現れた天空の楽園のようで.植物園やJaswant thadaで昼寝ばかりしていました.

泊まったSunrise Guesthouse (Anil Sunrise Guesthouseではない)では,オーナーであるPrakashさん (愛すべき子煩悩の不良オヤジ) に夜遊び (ビールを飲んでレストランに行っただけですが) に連れていってもらったり.このゲストハウスもすごくお薦めです.

ただ,Mandoreはあまりおすすめしません…だめになった公園という感じ.

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砂漠のお城の郵便ポスト


可もなく不可もないビスケット


ビスケットと水を抱えて,バスに乗って公園に行くのだ.


バナナの葉ずれは人の足音のよう


天空の楽園まで徒歩30分


ラクダにつける名前はなにか.


観察者であるとともに行為者でもある.


インド旅行記

インド (Varanasi)
インド (Jaipur)
インド (Jodhpur)
インド (Delhi)

インド (Jaipur)

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インドの旅行記を少々.
文章と写真は関係していたり,していなかったりします.
「なにもしない時間」が本当にたくさんあって,そのとき考えたことはそのうち.

つづいてJaipurに.
3-4日時間をとっていたのだけれど,この町はなんだか好きになれなかった.

ただ,泊まったVinayak Guesthouseは,Wifiが入り部屋がきれいで代金が安くオーナーのRamanさんがまるでスーパーマンで,とても良かったけれど.

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列車の車内で,強烈な腹痛・吐き気・頭痛に襲われた.お腹の筋肉が勝手に収縮していくような強烈な痛みが,30秒ごとくらいの間隔で断続的につづいた.

要塞は,最初,工事現場に見えた.


10分向かいあったら,木の節が見えてきた.
15分目に,奥行きがデザインされていることに気づいた.
20分たって,それでもあちら側への道は閉じられていることがわかった.
…豪奢である.



「風の宮殿」にうつろう光


日差しは強いのに風が冷たい.砂漠の気候なのだろうか.


夏がきたら,乾いた芝生に,はだしになって,青いホースで水をまくんだ.

別れ際まで,秘密は教えない.


Holiの予感



インド旅行記

インド (Varanasi)
インド (Jaipur)
インド (Jodhpur)
インド (Delhi)

インド (Varanasi)

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インドの旅行記を少々.
文章と写真は関係していたり,していなかったりします.
「なにもしない時間」が本当にたくさんあって,そのとき考えたことはそのうち.

まずはVaranasi
ここでは,本当になにもしなくて,ただガンガーを眺めながら日を過ごしていた.数日先まで列車が予約できなくて,「余分な」2日間を過ごすことになったあとは特に.結局,Sivaratriの前日にここに来て,そのあと1週間以上いた.
この町は本当に気持ちがよかった.

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あきらめと,待つことが必要である.

ぷんすかしていても,していなくても,現実は同じ.


こんなにたくさんの大人が昼間から街を歩いていて,彼らはいったい何をしていて,いつ働いているのだろうかと考える.でも別に,みんなが曜日をあわせて週5日働かなくてもいいわけだし,大人が何もせず昼間から街をほっつき歩いていてもいいわけだ.均一さは窮屈でもある.


人は,それぞれ違うものを見ている.


子供たちは,かならず,どこからか遊びをみつけてくる.
大人はいつから遊びと疎遠になるのだろう.
遊びをみつけるのが得意な人が,好きだ.


あなたに興味があるから,あなたに触れたくない.臆病でごめんなさい.


暗い河を歩いていて,河岸の切れたところで,ふと本屋に出会う.
本郷や神田の古本屋のように,平積みや棚に所狭しと,色とりどりの本が並んでいる.
外国人の先客は店の主人と熱心に話し込んでおり,自分の目は背表紙を一心に追う.
もっといたい気持ちをおさえて外に出ると,そこは相変わらず,インドのほこりっぽい道端だった.
本屋の中に,国境はない.


マザーハウスのBGMは,ポップなハレルヤだった.


河底は,ぬめぬめしていた.暑い午後の陽に,冷たい水が気持ちよかった.


ここも楽しいけれど,楽しいから,私のいるところではないんだよ.

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役に立つ情報もすこし.

最初に泊まったのはSai Kripa Guesthouse.Wifiが入る.
部屋代はちょっと高いけれど,オーナーのKhanさんがとにかくすてき.落ち着いていて,誠実.
ご兄弟のひとりが日本人と結婚して日本に暮らしているため,日本に何度も行ったことがあるそう.高田馬場とか,渋谷とか,北海道とか,こわいほど話が通じる.
彼の案内でいくつかお寺を見学した.ヒンドゥー教がどのように営まれているか,説明 (英語) を聞いて,彼の所作を見て,得るところが多かった.

ふたつめはBaba Guesthouse.
Wifiが入るし部屋代が安いし日本人が多いし,文句なしに良いのではないでしょうか.

ついでに,Shiva River View Guesthouseはおすすめしません…
最初の日に泊まろうとしたけれど,部屋代をふっかけられ (この部屋代が,交通費宿泊費含め,インド旅行でもっとも高い出費になりました…笑),クスリをすすめられ,ひどいので泊まらずに宿を替えました.
とはいえ,よく確認しなかった私が悪いわけですし,気が立っていたので実際以上に悪く見えたのかもしれませんが.


インド旅行記

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インド (Delhi)

2012/02/16

修士課程で得たもの

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大学院修士課程卒業時に書いた文章を見直す機会がありました.いま読み返すと,考えが浅いなと思う部分も大いにありますが,あらためてハッとする部分もありました.
全文は以下にありますが,せっかくなのでこちらにも転載しておこうと思います※1

研究概要 修了生より (先史人類学研究室)

はじめに

米田研究室で何を得ることができるのか、を記します。まずは、私が何を期待して米田研に入学を決め、2年間で何を得たかについて記します。次に、その経験を一般化して、米田研に入学を考えている皆さんに私の考えを伝えたいと思います。

私の場合

私は、自然人類学という学問と、科学の行われるプロセスを学びたいという意思をもって、米田研に入学を決めました。

自然人類学は、文化を持つユニークな生き物であるヒトを、生物学的な側面から研究する学問です。ヒト個人や集団の挙動は、文化的な要因と生物学的な要因の両者から影響を受けます。私が自然人類学を志したのは、このような文化と生物の相互作用に興味を抱き、それを自然科学の論理的な視点・考え方から研究したかったためです。
自然人類学はまた、非常に裾野の広い分野でもあります。
ヒトの系統的な発生から、進化、変異、生態、環境などを古人骨、石器、遺物、人体、霊長類、歯、食物などを研究対象とし解明してゆく分野です。学問分野としては先史学、考古学、古生物学、年代学、霊長類学、遺伝学、生態学、解剖学、生理学などと境界を接しています
日本人類学会のウェブページにあるように、さまざまな学問分野と接点があり、さまざまな視点からの研究が可能です。そして、それぞれの視点には、ひとつの学問としての奥深さもあります。修士での研究を通して、自然人類学のこの裾野の広さと奥深さに魅せられました。

私は学部で生物学を学び、大学院で自然人類学を学び、現在はインターネット関連の企業で働いています。企業で働くという選択をした理由のひとつに、文化的な側面から人類を眺めたかったという想いがあるかもしれません。つまり、生物学:人類を含むすべての生物の基礎、自然人類学:文化と生物の相互作用、インターネット:人類のつくりだした最先端の文化、というように文化・生物・その相互作用をそれぞれ学びたかったわけです。将来のことはわかりませんが、いずれ文化と生物の相互作用について新たな知を生み出したい、と考えています。

科学は、問いをたてる→仮説を考える→データを集めて分析→物語をつくる、というプロセスによって行われていると考えています。まず、未知のことがらのうち研究に値するものを選び出します(問いをたてる)。次に、そのことがらについて仮説をたてて、研究の方針を定めます。そして、実験や文献などのによってデータを集めて分析し、それを論拠に主張を組み立て、ひとつのパッケージを論文などの形で発表します(物語をつくる)。私は、学部では分子生物学の卒研を通して、データ集めと分析を中心にスキルを蓄えました。そして、科学の一連のプロセスを習得するために、それ以外の要素についても実践しながら学びたいと考え、大学院に進学しました。

このような想いに対し、米田研にはふたつの利点がありました。ひとつは、一般的な分子生物学の研究に比べて「物語をつくる」という要素の比重が大きい点、もうひとつは、研究プロジェクトが個人単位であるため科学のプロセスすべてに関われる点です。先史人類学は歴史科学の側面も持つため、厳密な実験結果を積み重ねて再現可能な事実を求める過程(データ集めと分析)だけでなく、データが具体的に何を示すのか自分なりの説明を組み立てる過程(物語をつくる)も重要です。また、個人単位で研究プロジェクトが進行するため、修士過程の学生であっても、研究を自ら運用して論文投稿までもっていくことができます。データ集めと分析以外の科学のプロセスも重点的に学びたいと考えていた私にとって、米田研の研究のこうした特徴は魅力的でした。

ただ、科学のプロセスを習得するのに2年間は短い、ということを実感したのもまた事実です。科学の醍醐味と知識の源泉は「問いをたてる」ところにあると思いますが、修士の2年間ではそこまでたどり着きませんでした。また、在学中に海外学会誌への論文投稿もすることができませんでした。これらは、将来また取り組みたい課題です。

一般化すると

自身の進路を決めること、つまり自身が何をやりたいのか見極めること、は多くの人にとって難しいものだと思います。しかし、あなたにとって大学院での研究が「やりたいのかまだわからないこと」だとしたら、ほかの「やりたいこと」をすぐにでもはじめたほうが良いのではないかと思います。

若く、好奇心と可能性に満ちたあなた(私も…笑)にとって、自身の進路を腹の底から決めきってしまうのは難しいことでないでしょうか。自分のやりたいことが決してぶれず、選択した進路に自信を持っていたとすれば、それはとても稀ですばらしいことだと思います。ただ、多くの人は100%の自信をもって進路を決めきれるわけではなく、過去を振り返ってはじめて、自身の足跡が一列につながるのではないかと思います。私も大学院入学当初は、分子生物学に対してもやもやした不満を抱いており、入学後配属での米田先生のお話を聞き、研究室にある大量の本を見て、おぼろげながら「自分はもっと人文科学よりの学問を学びたいんだ」と感じました。前述したような想いが言語化できたのは大学院の卒業後ですし、修士卒で一般企業に就職するという選択に際しても100%の自信は決して持てませんでした。

しかし、そうした霧中にあるような状態でも、自分に言い訳をしなければならないような選択だけは、しないほうが良いと思います。明確な目的(つまり自身の得たいもの)を持たずに、周りが進学するからとか、修士卒の就職までのつなぎとか、そうした意識で大学院に進学するのはあまりにもったいないことです。体力があり、知識の吸収が早く、自由に社会を動ける20代の前半を、「本来やりたかったこと」を夢見ながら、目の前の研究に集中できずに漫然と過ごすのは得策ではありません。

また、大学院ではどこもそうですが、米田研では特に、自身の頭で考え、自身で最先端の道を拓く努力が要求されます。これは、学生に研究の多くを任せてくれる、ということの裏返しでもあります。つまり、先行研究をふまえて新規性のある論理を立て、主張を支える論拠に穴がないか考え抜き、穴を埋めるためにどのようなデータが必要か想像し、データの取得方法や分析・抽出方法を検討する。そうして得られた結果を、わかりやすく正確に人に伝える、というプロセスを、自身が先頭に立って進めていく努力が要求されます。こうした努力を楽しめる人であれば、米田研や多くの大学院はすばらしい場所になりますが、学問の道に進む気がなく惰性で大学院進学をした場合、このような要求は相当つらいものとなるはずです。

もし、科学研究が「やりたいかわからないが興味はあること」で、しかしそれ以外に「やりたいこと」があるのだとしたら、後者を一刻も早く選び取ることをおすすめします。逆に、たとえ博士進学を考えていなくても、明確な目的と決意をもって大学院に進学するのであれば、実りのある時間が過ごせるのではないかと思います。

まとめ

大学院は、1を10にするために「利用する」場所であり、0を1に「してくれる」場所ではないと考えています。つまり、明確な目的(学問を修めたい、研究者になりたい、など)を達成するためであれば、経験を積んだ先生・先輩方のアドバイスや潤沢なリソースを大いに利用することができますが、大学院は決して、自身の進路の方向性を指し示してくれたり、「やりたいこと」を与えてくれたりするような場所ではありません。

以上は、あくまでも私の勝手な意見です。ご自身の価値観と照らして、何か学べるところがあればそこだけ抜き出していただければ幸いです。最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。

(2009年度修士修了 蔦谷匠)

※1 「私の場合」の項など,いくつか手直ししたい部分もありますが,そのまま載せました.また,この文章は所属する組織などを代表するものではなく,個人の見解であることを付記しておきます.

2012/02/12

プロであろうとすること

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自分が何かをすることを選びとるなら,文脈に言い訳を求めるのではなく,プロであろうと心がけつづけたほうがいいと思うのです.

プロであることはできない

自分がプロであると言っていいかどうかは,まず一番最初に気になるところと思います.
結論から言うと,プロであることはできないので,プロであろうとすべきです.

まず,ここで話題にしているのは,ライセンスとかラベルとか他人から与えられる「プロ」としての称号ではないので,プロとは,明確に定められない (= 自分で基準を決める必要がある) 概念になります.

そこで考えてみると,プロとは達成できない概念であることがわかります.自分はプロだと言い切って,鍛錬や適応をやめてしまったら,なんだかプロっぽくないですよね.おそらく,プロに近づけば近づくほど,プロであると簡単に言うことはできなくなるのではないかと思います.

それで,プロというのは達成できない概念だとすると,私たちは,プロであるか否か,ではなく,プロであろうとするか否か,ということになります.この観点に立つと,ひとつだけ重要なことが見えてきます.

自分はプロでないからテキトーでも良いだろうというのは,外部要因によって決まることではなく,実は自分で決めることである

ということです.テキトーにやったほうがうまくいくことも (実はたくさん) ありますし,何に対しても気をつめていると疲れてしまうけれど,テキトーではないやり方でやるかどうかは自分次第なわけです.

プロであろうとする

責任を背負って仕事をするということと,プロであろうとすることは,ほとんど同じことかなと思います.人との,ある程度深い関係の中で,自分がすることを選んだ仕事には,責任が生じます.責任を果たすとは,人との関係の中に自分が在るということに価値を与える,ということだと思います.

そしてたいていの場合,見学者や教わる側としてその仕事をすることを選ぶのであれば,必然的に,自分がそこに在る必要はなくなります.見学者はあくまで見学者だし,教わる側はあくまで教わる側なわけです.したがって,自分がそれをすることを選びとり,自分がそれをすることに価値を与えようとするなら,どうしたって,プロであろうとしなければなりません.

苦しいことに,背景や立場といった文脈には言い訳ができても,自分で決める事実には言い訳があまり効かないのです ※1.だから,自分で選びとったのなら,半人前だから…とか,学生だから…とか,よく知らなかったから…という文脈に逃げ道を求めるわけにはいかなくなります.プロであろうとするか否か,その事実があるだけです ※2

※1 こう書きましたけれど,たしかに効かないかもしれないけれど,でも外的にも内的にも,許してもいいとは思うのです.言い訳,いいじゃないですか.
※2 とはいえ別な面においては,それはもう心からの自戒を込めて…

2012/02/10

Ph.D.の価値と,幸せということ

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工学博士取得 → 会社勤め → 退職してインドネシアで創職活動
という人生を送られている mkamaga さんをAcafeにお招きして,話をうかがいました.

内容自体は以下が参考になります.
アジアにでた博士が吠える「博士よ、海外にでろ!!」 #drkmg -Togetter

それで,話の中で印象的だったのが,ふたつ.
Ph.D.の価値と,幸せということについて.

Ph.D.の価値

問題を発見しソリューションを提供すること,そして,それを自分にとって一貫した形で回せること.というフレーズを聞いて,ずいぶん前にたまたま読んだ,以下の文章が思い浮かびました.

最近の私は”博士号”は何か新しいことを手がけ、やり遂げた証なんじゃないかなって思っている。
大量生産されるPhDの行方は。 - 理系ちゃんのラボノート

博士課程で,自分自身の力で「解くべき」問題をみつけ,他人にわかるかたちで解決索を提示する過程と真剣に向きあえば,研究というフィールドであろうとなかろうと,新たな課題に対して,自分なりの視点から問題発見・解決策提示ができるようになる,ということだと考えています.


幸せということ

ちょうど同じ日に,以下の記事を読みました.

教授からのメッセージ -九州大学生体防御医学研究所

この記事にあるような,アカデミアでなんとかsurviveするために必要となる膨大な努力と,mkamaga さんのような,先の予測できない道を切り開いていく努力とについて,どちらも印象に残りました.
そして,共通点は,当人にとっては努力が努力でない,ということかなと思いました.

すべてのプロセスを深く楽しむことのみによって,これらの,時間を必要とする努力を維持することができる
成功した大学院生になる

ということですね.
プロセスを深く楽しんでいた場合,努力は努力ではなくなることがあると思うのです (それでも努力は努力であるという側面はもちろんありつつ ですが).自分の幸せが何であるか,きちんと自覚できていれば,適切でない努力をして幸せを磨耗させるリスクは,だいぶ軽減されるだろうと考えられます.


実は同じ

そして,これらふたつは,実は同じ構造をしているのではないかなと思うのです.
「解くべき」問題をみつけるということは,現象に対してsignificanceを与えるということです.そして,幸せに生きるためには,自分の人生に対してsignificanceを与えることが必要です.

つまり,
Ph.D.の価値は,現象にsignificanceを与えて,それを実現することで,
幸せは,自分の人生にsignificanceを与えて,それを実現しようとすること,
といえるのではないかと.


取り組んでいる現象における問題と,自分の人生と,当然,自分の人生に与えるsignificanceが上位に来ます.両者が同じ線上にあれば言うことなしですが,現象に与えるsignificanceが,もうこれ以上,線上に乗らないのであれば,さっぱりあきらめるだけのユルさも,自分に許して良いと思うのです.

と,そんなことを思ったAcafeでした.

2012/02/04

風邪と夢と恐怖の話

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10年ぶりくらいに,本格的に寝込んでしまうような風邪を引いた.

昔から,風邪を引いたときに決まってみていた夢があった.モノの大きさと重さの感覚が途方もなくズレていく夢.たとえば,飛行機から落とされるダンボール箱が,家ほどの巨大な大きさだけれどマッチ箱ほどの軽さしかないように感じられたりする.この夢が,とても怖かった.…今でもたぶん怖い.

今回,この夢が久々に見られるかなと,なかば期待しつつ横になっていた.一度だけ,その入口くらいのところに達したのだけれど,上述のズレを自己解決してしまい,結局久々の再会は果たせなかった.

自己解決の方法は,おぼろげに覚えている.大きさや重さの感覚がズレはじめたら,その対象に集中して,ズレを客観的に評価する.それは指だから,そんなに大きかったり重かったりしない,というふうに.そうすると,ズレが怖くなくなる.または,ズレがだんだんなくなっていく.どうもこんな感じに自己解決していた気がする.

だから何だと言われると困ってしまうので,一般化して教訓めいたことでも書いてみる.

人は,恐怖の予感を感じると,意図せずとも,対象から目を背けてしまう.そうすると,恐怖の感情は自分のなかで,正のフィードバック的に膨れはじめて,そのうち正常な判断力を奪う.つまり,恐怖から逃げようとすると,かえって恐怖にとらえられてしまう.

恐怖を感じたときには,恐怖を抱いている対象と,恐怖を感じている自分を,きちんと認識して冷静に評価する.それによって,対象が怖いものではないことがわかったり,恐怖を感じている自分がなくなったりする.

こんなことが言えるかもしれない.


そんなわけで,風邪自体は,48時間,寝たり起きたりを繰り返していたら,なんとか回復しました.私にとっては,とにかく眠ることが,体調不良を治すためのもっとも有効な対処法のようです.

2012/02/03

鶏を絞める

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友人の紹介で,先週の日曜日,鶏を絞めるワークショップに参加してきました.
詳細は,過去のものですが,以下の記事などご参考に.

生まれて初めて、鶏を絞めた日。 - ちはるの森

主催は上記の記事を書かれた chiharuh さん.場所は千葉の九十九里浜にほど近い FARM CAMPUS.参加者は30名以上で,冬の風が強いけれど,よく晴れた日曜日でした.

散歩

まず,集合場所の上総一ノ宮駅に,個人的に,1時間早めに着いて,海まで散歩に行きました.

風が強くて,思ったより遠くて,砂が目に入って涙がでてきたり….


様子

前置きはこれくらいにして,本題に移ります.
今回は,希望者がグループになって,2 + 1羽を締めました (どういう手順で何をするか,などは,上述の記事を参照ください).
私は,最初のグループで,気絶した鶏のクビを切り落とす役目に.

最初はこんなふうに抱えられていた鶏が,

最後はこんなふうに.

途中の写真は,撮る余裕があまりなかったのと,(1枚だけあるのだけれど) 苦手な人もいると思うので,省きました.

思ったこと

それで,以下が感想.
当日の夜,家に帰ってきて,一度に書いた文章をそのまま載せることにします.
(注に示した統計の部分は次の日に調べましたが)

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クビを切り落とすとき,命をいただくという思いはあまりなかった.感触は,スーパーで買ってきたかたい肉を,包丁でゴリゴリと切断するような感じ.でも,スベリ止めのついていない軍手の表面で,包丁が安定しなかった感覚が,印象にのこっている.すみやかに切り落とさないといたずらに苦しませてしまうかもしれないと,すこし焦ったのも覚えている.

内蔵を取り出すとき,まさに人肌 (トリ肌?) の温度くらいにあたたかかった.気持ち悪さはまったくなくて,スーパーで買ってきた冷えた肉を包丁で切っているときのほうが,むしろ違和感を感じるくらい.

中学校で解剖をしたとき,ニワトリの内蔵はとにかく臭かった (本当に臭かった!) 記憶があるのに,嫌な匂いがまったくしなかったのも印象的だった.おそらく鮮度で差が出ているのと,シェフの kooichi さんいわく,餌でも違うそうな.

それと,砂肝が本当に「砂肝」だったのには感心.切ると砂利や砂が出てきて,なかには写真のように大きなものもあった.擦れたためか表面はつるつるになっている.

いただくと,歯ごたえがあって.脂も嫌な匂いがなくて,とてもおいしい.内蔵は新鮮で,皮も,脂の塊のようなものとはまるきり違って,結合組織の歯ごたえをきちんと感じられる「皮」だった.

普段食べている市販のものと比較してみて,大きな違いは3つあった.大きさと,脂と,かたさ.

まず,両手で抱えるくらいの大きな鶏なのに,とれた胸肉は市販のものの半分程度の大きさだった.スーパーで売られている鶏肉の主は,いったいどのくらい大きいのだろう.解体されてパック詰めされた「肉」としての鶏は見ているけれど,生きている「ニワトリ」としての鶏について,いかに知識がないかを思った.日々食べている肉なのに,それが,どんな風に生きてきた,どのくらいの大きさの鶏からとられたか,見当もつかないなんて.

脂は,内蔵にはたくさんついていたけれど,肉にはあまりついていない.スーパーでパックに入って売られている鶏肉の,あふれんばかりの脂,あれはいったいどこから来たのだろうと不思議になってくる.そして,味もわりと違って,気分が悪くなるような脂の匂いが,こちらの鶏ではあまりなかった.

そして,歯ごたえ.味のしみでてくる肉をきちんと噛んでいる感じがした.市販の肉のやわらかさと比べるとあまりに違いが大きくて,味は鶏肉だけれど,食感はまるきり違うものを食べているような.しかし,どうしてこの肉がこんなにかたいのかとは思わなくて,普段食べている肉はどうしてあんなに不気味なほどやわらかいのかと思った.それほど市販の肉には歯ごたえがないのだということを,比較して,はじめて知った.

それで,この文章を書きながら考えているのは,こうしたブラックボックス化された,途方もないシステムをつくりあげた人間のこと.

平成21年のデータをもとにちょっと調べて計算してみると,1日に屠殺されている鶏の数は,日本のブロイラーだけでも24450羽にのぼる ※1.…24450羽!おそらく決して,すべり止めの付いていない軍手で一羽一羽解体されているわけではなくて,多くの人は知らないシステムが,顔の見えない無数の鶏を,パック詰めされた肉にして,私たちの食卓に運んでくる.私たちはブラックボックスの中身を知らなくても鶏肉を食べることができるし,そうしてシステム化されているからこそ,これだけ安価で大量の鶏肉が供給されているという側面もある.

でも,会社帰りにスーパーで買えるのは,システムの生産物である「トリムネ肉」ではあっても,この手で絞めた「ニワトリの胸の肉」ではない.そして同じことは,鶏だけでなく,豚や牛にも言えるだろうし,野菜,乳製品,加工食品…すべての食物にも言えるのだろう.

ヒトは「自然な」食生活をすべきだというつもりはまったくないし (「自然」の定義は置いておいても,それを現代のようなこれだけの規模にスケールすのはまず無理だろうし),私はこれからもスーパーで「トリムネ肉」を買うことだろう.でも,自分の買って食べている「トリ肉」や「食べ物」が【いったい何なのか】に無自覚であることは,おそろしいことでもあるんだなと,理解することはできた.

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というわけで,そんな日曜日でした.忙しく駆け回られていたちはるさん (もうすこしお話したかった!),設備から雰囲気まで気を回してくださったFARM CMAPUSスタッフのみなさま,おいしい料理をつくってくださったシェフのおふたり,他の人のお皿まで洗ってくださったり,焚き火やストーブで暖をとりあったりしていた参加者のみなさまに,いろいろと感謝です.

最後に

このエントリを書いてから,『ドキュメント 屠場』 (鎌田慧, 1998年, 岩波新書) という本を読んで,また考え込んでしまった.確かな技術をもとに人々の食卓を支え,誇りを持って仕事をされていると場の職人さんたちの姿がいきいきと描かれていて,上に書いた文章が恥ずかしくなってしまった.

しかしそれでも,途方もない食物供給システムや,と場ではたらく職人さんたちの姿が,私の日常からはブラックボックス化されていた,という事実に変わりはない.私の視野が狭かっただけなのか,「意図的に」隠されていたのか,定かではないけれど,そうした現実を知らなかったということに気づけた点は,大きな収穫だった.


※1 データは以下の統計から.
平成21年 個別経営の営農類型別経営統計 (経営収支) - 農林水産省 農業経営統計調査
平成21年のブロイラー養鶏経営体が48,1経営体あたりのブロイラー販売羽数が185928,48かける185928を365で割って1日あたりの販売羽数を計算すると,24450.81となる.…間違いがあったらご指摘くださいませ.

2012/01/14

目的としての「つながり」

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組織やプロジェクトは,役割のひとつとして,帰属意識や仲間意識という「つながり」を提供する.
この「つながり」はやはり心地良いもので,「つながり」を目的として組織やプロジェクトがつくられることがある.

しかし,その存在を否定するわけではないのだけれど,自分はそういった 目的としての「つながり」に,なんだか居心地の悪いものを感じる.
つながることができれば,なにか予期せぬ反応がおこる,やりたいことに出逢える…そうじゃない.
やりたいことをしている.だからつながる.だから反応がおこる,そういうものじゃないかなあと思う.

自分にとって「つながり」は贅沢なもので,それゆえ,目的ではなく結果として存在する.