2012/03/11

1年前の地震とその前後のことについて

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あのときは会社に勤めていて,しばらく先までの人生をどう方向づけていくか,決心しきれていなかったときだった.そのちょっと前から,人から遠ざかってひとりのなかに埋没している時期がつづいていて,そんな状態で2011年の3月11日をむかえた.

当日

その時刻,会社のデスクに座っていて,ずいぶん大きく長く揺れるなと思った.立ちあがったら,同じように立ちあがって不安と好奇の目で周りを見渡している人が見えた.
避難指示が階ごとに放送されてきて,それを待っているあいだ,参考になるかもしれないと以下のエントリを読んでいた.

2001年9月11日、ワールドトレードセンタービルの102分間 (A Successful Failure)

防災係になっていて,非常階段へ人を誘導しているとき,何回か大きな余震があった.揺れが若干気持ち悪くて,廊下にしゃがみこんでいて,上記のエントリの内容を思い出したりして,けっこう真面目に死を意識した.こんなことも思った.

地震の最中、揺れるビルの廊下にしゃがみこんでいたときに思ったのが、「自分はいま死んでも後悔しない人生を送ってられてるのか?」ということだった。答えは、Yesのようなところももあり、しかしまだ圧倒的にNoだった。
2011年3月11日 - 18:38 (Twitter)

避難訓練でやったのと同じように,会社の外の公園に出た.その後は,電車が動いていないことを聞いたり,もう退勤になったことを知らされたり,混雑回避で浅野屋に向かい本を読んでいたりした.当時はドストエフスキーの『悪霊』を読んでいたようだ.Tokyu Precceの混雑整理の放送が聞こえてきて,浅野屋で大量のパンを買っていく人がいたりして,食料や日用品の買いだめが起こっているんだなと,のんきに考えていた.

結局,帰れそうもなかったので,20時過ぎに会社に戻った.Tokyu Precceはほとんど食べ物が残っておらず,セブンイレブンも同様だった.エレベーターは止まっていて,たまたま出会った同期と階段で上にのぼった.

夜中の会社内,同僚と見たTVでは,巨大な水のかたまりが火や建物を押し流していた.しばらく言葉を失った.

朝型の私に夜はつらいので,人の少ない共通休憩スペースのソファーに寝転がった.余震でブラインドが揺れて窓枠にあたる周期の長い音が,不気味だった.この音を聞くと,今でもこのときのことを思い出す.別な人がすこし離れたソファーに横になったり,また起きて離れて行ったりしていた.

次の朝は相変わらず晴れていて,寝不足が気だるかった.


翌日以降

周りが非日常の空気をまとったのを覚めた目で見ている自分がいた (あるいは,そうだったように思っていた).

ただ,Twitterに流れてくる,どんな視点からでもどんな風にでも解釈ができてしまうような,そんな文字たちを見るのが苦しくて,それでもiPhoneを取り出して見るのをやめることが難しかった.幸いにそれをしつづけられる結果に分かれた人たちは,インターネットの向う側で,みんなそれぞれなにかを思い,なにかをしていた.


その前後

当時,自分が「生きる」ために精一杯で,地震の前から,外界と自分との距離が遠かった.外界に対して働きかけるチャネルはできる限り絞り,外界から入ってきたものに心や行動パターンを乱されたくないと願っていた.

そのせいか,地震後の「非日常」を,日常のように過ごしていたように思う.ちょっと変わった生活に,好奇とすこしの不安で色がついたような.常磐線が松戸までしか届かなかったことと,スーパーが閉まるのが早くなったことくらいしか記憶に残っていない.仕事はほとんどストップしたけれど,人のすくない会社で,かわりに勉強をつづけていた.

私にとっては,そうだった.人や災害との相対的な関係が変われば,思いもきっと変わってくるのだと思うけれど.

これまで意識しなかったけれど,地震によって,外界との接続の弱さがさらに促進されたように思う.その夏に会社を辞めたのは,地震そのものよりは,そのあとに仕事がストップした状態がつづいて,そこでもやもや考えていたところも大きく関係しているような気がする.上澄みはまとめることができたけれど,もやもやの部分はうまく言語化できていないし,自分の感情の再帰的な力からも自分を守ろうとしたために,あまり覚えていない.

外界との接続が弱い状態は,つい最近までつづいた.そして,インドから帰ってきたあと,それを終わらせる気になった.インドが契機になったのではなくて,降り積もってきたものが閾値を超えたのが,ちょうどその時期にあたっていたのだと思う.


いま

そんなわけで私にとって,地震は,文脈のひとつだった.

外界との接続を弱め,弱まっていったときに地震がおこり,弱まりは加速された.接続が適当に弱まった状況のなかで「知りたい」という感情を発見して,4月の終わりに,会社の上司に退職の意志を告げた.接続の弱さはつづいて,そのなかから「怒らない」というシンプルな結晶が現れた.

そんなわけで,いまに至る.
ここにきて,やっと息ができたような気もするし,そうでないような気もする.
これから,ということで問題はないと思う.

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