2012/03/11

「怒らない」ということ

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つい先日,どんな人間でありたいか,という質問を投げかけられた.
そのとき,「怒らない」ようにありたい,しばらくはそれだけでいい,と答えた.

これまで私を動かしてきたのは,怒りの感情だった.自身の理想を自信でかためて,そのとおりでない環境や自分に怒り,それをエネルギーにして自分自身を動かしてきた.
怒りの感情を,自分の内側に留めきれれば良いのだけれど,どうしても漏れだしてくる.ほかの人に近づけば近づくほど,漏れでた怒りは強くあたってしまうことになる.

怒りはたしかに力を与えてくれる.でも,つまらない.
近くに寄ることができた人に対して,その距離が近いほど,つまらない思いをさせてしまう.自分も,大切な人につまらない思いをさせて,つまらない.

近くにいる人ほど,強く怒りをあてて遠ざけてしまうので,怒る人は孤独である.
そして,孤独ということは,自分自身に対する甘美な言い訳である.
2年前,降り積もった怒りのせいで,遠ざけるべきではなかった人を離してしまった.
それ以外にも失敗ばかりしている.
最近,そういう状況に対して,なんだかげんなりしてしまった ※1

「怒っている」というのは状態であって,能力ではない.
ぷんすかしていても,していなくても,自分の力は変わらない.
謙虚な自信とともに,波立たない水面のような心で,人・物・事に向きあうほうが,かえってうまくいく.それが経験的にわかっていて,最近になって,やっと理解もできた.

そんなわけで,当面の私は「怒らない」ことになっている ※2

参考

『自己の肯定と否定と』 和辻哲郎 (青空文庫)
『虞美人草』 夏目漱石 (青空文庫)
講演録「心の技法」(4) なぜ怒りをコントロールするのか (かんかん)

※1 「怒り」に対しては怒っていないので,多少の進歩はみられているのかもしれない.
※2 外側に表出する怒りのことではなくて,怒りの感情に心を支配させない,という感じでしょうか.

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