2012/03/17

旅と「非日常」

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旅先で「非日常」を過ごすことなどできない,という話.

旅先で過ごす「非日常」への期待

旅に出るとき,どれだけ「日常」を連れていくかには,その人の個性が表れる.大きなスーツケースに何種類もの服や生活用品を詰めこんで出かける人もいれば,バックパックひとつでふらりと出かける人もいる.

私は後者でありたいと思っていて,今回の3週間の旅でも,20Lのバックパックひとつにできるだけ少ない荷物を入れ,「日常」と接点を持つものはラップトップ ※1くらいにして日本を発った.

異国のまだ見ぬ空気への期待・不安と,置いてきた「日常」から逃れた開放感が,旅先での「非日常」を魅力的なものにして,何かそうした「非日常」の体験や思考が可能になるように思わせる.人が旅に出る大きな理由のひとつに,この「非日常」を過ごすことのできる期待があるんじゃないかと思う.

旅先で見たもの

今回のインドの旅では,いろいろな「非日常」の過ごし方を見た.
日本人の多いゲストハウスでは,群れてコミュニティをつくる旅行者を見た.
高級な店が立ち並び駐在員などが多く暮らす地域では,汚れひとつないヒールで高級紅茶店に出入りし,三等列車に乗ることや屋台の食べ物を食べることなど考えもしない人々を見た.
たまたま出会った同年代の男性は,日本に暮らす自分たちを相対的に捉えたい,価値観を確かめたい,という目的をもって世界を旅していた.
私は,文脈を避けて,ひとりのなかに埋没する時間が多かった.

これらから見えてきたのが,旅先で「非日常」を過ごすことなどできず,私たちはどこまでも「日常」を連れていくほかない,ということだった.

「日常」を離れることなどできない

おそらくたいていの場合,場所やすこしの時間が変わっても,私は私のままで変わらない.個人の行動をなんとなく方向づけるモノの見方は変わらなくて,人は,旅先でもその原理にしたがって動くことになる.そういう意味では,人は「日常」を離れることなどできない.私の周りにあるものは変わっても,それを見て選びとり行動する私は,これまでの積み重ねの延長に在りつづける.

さらに,人は見ようとするものしか見えないから,旅先で「非日常」を見ているつもりになっていても,「日常」の自分が見て感じているものは結局「日常」であったりする.つながりに飢えた毎日を送っていれば,旅先でも同年代の日本人が特に目につくだろうし,価値観を確かめたいと常々考えていれば,文化や環境の差異とその背景に敏感になるだろう.

「日常」のなかで「非日常」を見ることのできる稀有な人もいれば ※2,「非日常」のなかで「非日常」を見た気になっている人もいる.ただひとつ,旅先では「非日常」に気づく閾値が低くなるということは言えるかもしれない.

結論

あちこち旅をしてまわっても,自分自身から逃れられるものではない.
(ヘミングウェイ)

※1 行きの飛行機で隣に座った写真家の方と話をしたときのことが印象的だった.彼女は,一眼レフをあえて置いてきたと語った.持ってきたら「仕事」をしてしまいそうだったから,と.私もラップトップを持っていくか迷い,結局持っていった.
※2 思い浮かぶ知り合いの顔があるし,寺田寅彦なんかもそうだったんじゃないかと思う.

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