2012/04/22

ラボ・ダイナミクス

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図書館でたまたま手にとった『 ラボ・ダイナミクス -理系人間のためのコミュニケーションスキル 』という本がとても良かったので,その抜き書きというかまとめというか ※1.研究室の人間関係について悩んでいた場合,たくさんヒントが得られると思う.

書評に関しては以下にまとまっている.
これぞ大学院生必携、『研究室の人間関係学』 - 赤の女王とお茶を

自己認識を深める ※2

1. 自分の感情を「知る」
思考を表す言葉 (e.g. と感じた,勝ちたい,決断する) ではなく,感情を表す言葉 (不安だ,おびえている,もどかしい) で,自分を表現してみる.名前をつけなければ理解することはできない.

2. その感情が行動に及ぼす影響を「予測する」
自分が1のような感情を抱いたときにどのような行動にでるか,最初に思いついた行動について考えてみる.

3. 状況にふさわしい行動を「決断する」
人に害をなすか,その状況にふさわしいか,プロの行動といえるか,我をもって対処していないか,にひとつでも引っかかれば,見直すべきである.

自己認識を深めるトレーニング

日々のなかでタイムアウトをとり,そのときの感情を分析してみる.ほんの少しでもいいから,感情に名前をつけて,記録してみる.不快な感情が予測される状況 (e.g. つまらないゼミ,緊迫した話し合い) で特に.
また,「心の地雷」のありかを探り,どのような状況でそれが踏まれてしまうのかを分析する.次にそのような状況に出会ったら,トイレに行くでも携帯電話を見るふりをするでも,とにかく時間稼ぎをして,その状況から心理的距離をおいて分析する.

交渉

立場の正当性ではなく,その背後にある双方の利益を念頭において交渉する.利益とは,あなたが交渉により最終的に手に入れたがっているものである.立場とは,あなたが利益を手にする手段のひとつにすぎない (e.g. 立場: ファーストオーサーになりたい,利益: 就職できる).立場は認めるか認めないかのどちらかしかないが,利益を満たす方法はいくらでもある.
交渉においては,パイをふくらませること (話し合いの要素を増やすこと) が重要.問題をそぎ落として,核心をできるだけ単純化してから,鍵となる単一の要素について検討するサイエンスのやり方とは正反対で,非生産的にみえるかもしれないけれど.

※1 書籍を購入してしまったのもあって,ここに記した以降はまとめていない.
※2 参考: 「怒らない」ということ

2012/04/17

内部の交流

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「内部の交流」に興味がある.
研究紹介のセミナーみたいなものは,学部のころから何度か企画運営してきたし,会社勤めのときはゆるいランチセミナーみたいなものをやっていたし,そういう場にでかけていくのも嫌いではない.

どうして私が「内部の交流」に興味をもっているのか,さみしさ,もったいなさ,見通し,という3つのキーワードで語ることができそう.

さみしさ

私は,人と,パブリックな関係を築くことは得意な反面,親密な関係を築くことが苦手なように思う ※1.「内部の交流」は,同じ組織,同じ目的,そういった何かしらの共通点を足がかりに,人との関係を求めていく私なりの方法なんだと思う.

もったいなさ

人間はとても多様でおもしろくて,誰しも,あまり表に出さない,ユニークな部分をもっている ※2.こうしたユニークな一面を知りたい,という思いも,「内部の交流」に興味をもつ理由のひとつのような気がする.そこから何かを学べたり,創発的に新しいものができてくれば,もっと楽しい.空間や時間がたまたま一致して,近くにこんなにユニークな人たちがいるのだから,もっと知らなければもったいないという思いがあるのだろう.

見通し

私には,「着想」と「戦略性」を重視する傾向がある.多様で大量に存在する対象を俯瞰して,複雑さをシンプルな考え方で説明し,自分にとって進みやすい道筋をつけようとする.この態度を,人の集合体に対して適用している結果が,「内部の交流」ということになるのだと思う.組織やシステムなど複雑なところで,すこしでも見通しをきかせるために,そうしたことをしている側面もあるかもしれない ※3


※1 前者は,特定の決まりごとや共通の目的の下で,ビジネスライクに協調関係を構築するようなイメージ.後者は,利害や損得関係なしに,パーソナルな付き合いを確立するようなイメージ.

※2 たとえば私は,カードやコインがあればいくつかのちょっとしたテーブルマジックができるのだけれど,普段そんなことは話題にしない.

※3 こう書くと,なんだか人を見下したり,手段として扱っているような気になってくる.これまで,そういう態度をとっていたかもしれない.しかしそうではなかったとも思う.

2012/04/14

批判と対案

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批判するなら対案をだせ,というのはひとつのルールである.

ブレインストーミングは,このルールを組み込んだプロセスだし ※1,多くの組織や社会では,アイデアをつぶすより累積的に発展させていくほうがたぶん「適応的」だから,暗黙にせよ明示的にせよこんなルールがあって,批判ばかりしていると顧みられなくなる.

このルールはつまり,物事のネガティブな面ではなくポジティブな面を強調せよ,ということ.ポジティブな面を強調した絶え間ない進歩というのは,まあ結構なことではあるけれど,ときに窮屈である.

たとえば,自分や他人の人生に対して,このルールをもって迫ることは,ときに非常に酷である.常に目的をもって努力している人生なんて,そう簡単ではない.暗い気持ちやネガティブな部分に留まってもやもや考えていても,別に良いではないか.

ルールは,制定されていないところでは必ずしも守る必要はないし,ときには守らないという選択をすることも可能である.



※1 ブレストの場合は「批判をするなら」というより「批判はしない」になるでしょうか.

2012/04/01

チャップリン

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「チャップリンを共に見て語る会」にて,『黄金狂時代』『独裁者』『モダンタイムス』をあらためてじっくり観る機会がありました (お誘いいただいてありがとうございました^^).『独裁者』と『モダンタイムス』は小さい頃に観たことがあったようで,いくつかの場面を断片的に覚えていました.現代にあっても色あせず,夢中になっているうちにあっという間に5時間が過ぎていました.
ここでは,映画を観て,特に強く感じたことを3点,メモがわりに書いておこうと思います.

パフォーマーは手元を見ない

『黄金狂時代』の,フォークで刺したパンのダンスを見て思いました.
 パフォーマンスとは,パフォーマーと観客の相互作用といえましょう.パフォーマーが自分の手元を見てしまった一瞬に,パフォーマーの注意は自己完結して,舞台から観客の存在は消え,相互作用も消えてしまう ※1
だから,パフォーマーは,自分の手元は見なくても,ときに観客の目をじっと見つめることがある.パフォーマンスそのものより,自分の存在および自分と相互作用している観客自身の存在に,観客の注意をむけさせるかのように.恋する人を前にしたパフォーマンスであれば,なおのことそうかもしれませんが….

こっけいはつくりだされたのか

『独裁者』の演説シーンを見て思いました.
 同じ制服を着たしかつめらしい人々をバックに,いばりくさった人が手前で演説をぶっていて,オーケストラか何かのようにときたま大歓声が交じる.表向きは大真面目ですが,すくなくとも私にとってはひと目見てわかる,こっけいな雰囲気がかもしだされていました.
ですが,なぜ私は (一般化して,人は) これをこっけいに感じるのでしょうか…?こうした場面がこっけいであるという概念を,そもそもチャップリンがつくりだして,それを多くの人が共有しているのか.あるいは,このような場面をこっけいであると感じる性質が多くの人にあって,チャップリンはそれを刺激する映像をうまくつくっただけなのか.
 …どうも後者のような気がします.

言葉でないものが多くを語る

『独裁者』の最後のほう,床屋のチャーリーが独裁者のヒンケルになりすまして階段をのぼる場面で思いました.しかし考えてみれば,それ以外にも,チャップリンの映画では,いたるところで,言葉以外のものが多くを説明していますね.
 さて,ヒンケルに対して,チャーリーの階段ののぼり方はあまりにたどたどしかった.ヒンケルにもチャーリーにも,つくりこまれたキャラクターがあるわけですが,階段ののぼり方たったひとつで,それが判別できてしまう.のみならず,不安なチャーリーの心情まで透けて見えてしまう.つまり,人には,言葉に表されていない所作,着物,持ち物などから,語られる以上に多くのことを読み取ってしまう性質がある,ということにはっと気づいたのです.
これって考えてみると恐ろしいことです.ある人の存在を総合的に見て,人はその人に対して文脈や説明を当てはめているわけです.言葉や顔色を隠し通すのは無理ということにもなりますし,見た目からくる偏見に無意識のうちにとらわれているということにもなります.
気をつける,というと何か違う気がするのですが,人には (あるいは,少なくとも自分には),そのような性質があるということを心にとどめておこうと思いました.


 

※1 ただし,自己完結したパフォーマーの姿を見せるのが目的のときには,この限りでないけれど.