2012/07/04

creativityと実現可能性と「お勉強」

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アイデアは,実現可能にしてはじめてcreativeと言うに値し,そのためには「お勉強」が必要になるのではないかな,という話.

creativityと実現可能性

まず,クリエイティビティとか創造性とか,そういう類のものは,実現可能,検証可能,実行可能であってはじめてcreativeと言うに値するんじゃないかと思う.

たとえば,小学生の自由研究はcreativeか考えてみる.
たいていの場合は,前提となる基礎知識が不十分で,"柔軟な発想"で"専門家も思いつかなかった"ような「つきぬけている」アイデアが提示されることが多いだろう.でも,それらのアイデアは「つきぬけている」がゆえに実現不可能である.
大人だって「こんなことができたらいい」とは誰でも思う.しかし,それだけではcreativeとは言えなくて,どうやって実現するか,本当にできるかどうかが重要になってくる.

サイエンスの世界でたとえて言うと,ある研究は,現在または未来にほぼ確実に検証可能であり,論文やそうした形式にのせて認められて,はじめてcreativeであると称される.研究計画書がいかに「クリエイティブ」であっても,それだけでは十分でない.
他の世界のことはよく知っているわけではないけれども,ビジネス,芸術,文化的活動など ※1,いずれも,アイデアをある様式にのせて,実現されている場面を見せたり,だれにとってもその価値が検証できたりするようにしなければ,creativeであるとは言えないのではないだろうか.

実現可能性と「お勉強」

アイデアや結果をこうした様式にのせるには,つまり実現するには,訓練が必要である ※2.たとえばサイエンスの世界では,論文という特異な文章で結果や思考を表現する必要が生じる.結果を得るまでにも,実験であったり理論であったり,そうした様式にしたがわなければならないケースが大半だろう.

そして,この訓練は「お勉強」を通じてなされる ※3.「お勉強」と試行錯誤の両者をうまく回すことで,もっとも効率的になされる.様式にしたがうということだけでなく,どのような歴史のうえに現在の問題があり,それに対して自分の成果がどのように位置づけられるかを,勉強して理解しておかなければ,説得的なアイデアを提示することもままならないだろう.

creativityと「お勉強」

可能な無数の「クリエイティブ」な計画のなかから,「お勉強」によって得た知識を駆使して,説得的かつ実現可能なものを選び出し,それを様式にのせて実行しなければならない.それが成果としてあらわれて,はじめてcreativeかどうかを判断されるラインに達する.
天才ではない大部分の人間にとって,正解のない問題を創りだし答えを与えるためには,説得的なアイデアを選別し実現するためには,つまりcreativeであるためには,どうしても「お勉強」が必要である,とそう思う.

※1 様式自体をつくり変えてしまうメタなもの (破壊的イノベーションみたいなもの) にもあてはまるだろうと思う.
※2 まったくの訓練なしにできるのはごくごくわずか一握りの天才だけだろうし,分野が細分化し内容が高度になった現代では,そのような天才の存在すらもあやしいところかもしれない.
※3 「お勉強」だけで終わってしまう場合も,残念なことに,もちろんあるだろうけれど.